無題
2006年9月17日 どうしようもない日記 今朝もまたいつものように、起きろと言う家族の声を無視して、半分意地で昼近くまで寝ていたら、その間に朝市に買い物に行ったと聞いて少々後悔した。一つばかり年を取ったからといって、すぐに行動が変わるわけもないと思うが……なんて、わざわざ言うまでもないか。
だから今日の夕飯は、寿司やケーキを取ってかなり豪勢だった。この年になってケーキもないかもしれないが、家族の誰かが欠けた後になって、あの年は皆でケーキを食べなかった、なんて後悔したくはない……と自分は思っている。祖母が、家族そろって誕生日を迎えられるという事は喜ばなきゃいけない、と言ったのも分かるような気がする。
そんな夕食の後で、意外な話を聞いた。祖母や母親が電話で大声を出しているので、気になって階下へ降りていってみると、まだ電話は続いており、何も訊けないような気配だった。終わった後、どうしても気になって訊くと……この間、従兄と結婚した人の弟が死んだというのだ。
その従兄の結婚式で一度会った相手だから、名前も何も不確かだけど、一応は覚えがある。自分と年はほぼ同じらしいが、目立つ外見で社交慣れした感じがあり、後で知ったが実際、夜の仕事(……)なのだそうだ。式の合間に控え室で寝ていたのも、直前まで仕事で忙しかったかららしい。しかし絶対に死ぬような人とは思えなかったのだが……母親が改めて従兄に悔やみの電話をかけて聞いたところ、先月の初めに佐渡の海で溺れたのだという。最初の電話の相手だった叔父は、新聞にもそのことが載ったと言ったそうだ。
従兄の奥さんも含めて姉妹はいるが、兄弟のうちではたった一人の男だから、親の悲しみも深かろうと祖母が言った。それは本当のことらしかった。自分も何があったか分かるにつれて力が抜けるような感覚がした。どうしても信じられなかった。
ここしばらくはその事もあってか、この家を訪れなかった従兄夫婦だが、明日は来ると言っていたそうだ。祖母や母は香典を用意しなければと言っていた。
------------------------------------------------------------
ウィキペディアに……というか正確にはウィキメディア・コモンズに生まれて初めて画像を投稿した。
たまたま自分の地元にある大学(父親の元の勤め先でもあった)の項目で、わりと前から画像投稿依頼が出ていたから、誰もやらないならいずれ……?と思っていたのだった。地元だから家族に頼んで撮影してもらえばいつでも投稿できそうなものだが、ウィキペディアは著作権に関してかなり細かいようだから、後腐れがないよう、帰省した時に自分で撮って投稿しようと思ったのだ。……まあ、その場合、カメラの性能や自分の技術その他の理由で写真のクオリティは多少犠牲になるが、それは仕方なかろう。ウィキペディアなんだから、いずれもっといい写真を投稿してくれる人が現れないとも限らないし。
実際に写真を撮ったのは帰省直後の先月14日だった。祖父母の買い物についていったついでに大学に寄ってもらい、適当に20枚ほど撮ってきた。ただし……事務に断るほどでもないか?と思った、というか、許可をもらおうとしてかえって面倒になっては嫌だったので、大学側には一切無断で……。この時点で、著作権的にまずい画像は投稿しないでくれというウィキペディア(ウィキメディア・コモンズ)の方針に抵触しているような気もするけど……。
撮ってしまえば、あとは補正して投稿するだけ……なのだが、その暇はなかなか取れなかった。というよりも、補正作業には時間がかかるし、投稿手順は分かりにくいしで、つい取りかかる決心がつかなかったのだが。そうこうしているうちに、誰かがもう投稿したのでは……と不安になってきたが、確かめるのもまた不安でなかなかページを見てみもしない。だが、ついに気になってそのページを見てみると、画像募集中の画像はそのままだった。
それでもすぐに取りかからなかったのは、やるなら今日、と思っていたからでもあったが。夕飯の後に補正から始めてみると、これがやっぱり大変だった。
そもそも、元の写真の出来がよくない所に加えて、ウィキペディアの投稿の仕方がよく分からない。元の大きさの写真以外にサムネイルも必要かと思って、フィルタの掛け方まで工夫して用意したが、アップした後になって不要と分かった。画像のアップ先も、初めは普通のウィキペディアだと思い、既にそのためにアカウントも取ってあったのだが、あらためて説明を読むと、ウィキメディア・コモンズの方が全世界から利用できてよいらしい。でも、この画像にそれほどの価値があるのか?……と迷った末、結局コモンズのアカウントを取ったが、今度は画像に添付すべき情報の書き方が分からない。用意されたテンプレートに沿って何とか書いたが、これが正しいという書き方の例がどこにもないので、やっぱり分からないことだらけ……。
ともかく、コモンズのアップロード画面でよくよく確かめた末にボタンを押した2枚の画像(元の大きさの写真とサムネイル)は、一応、警告に引っかかることもなく順調にアップされた、らしい。まあ……そのうちどこからか注意が来て削除されたり、いつの間にかもっと質のよい画像に変わっていたりしない限り、これでよかったというコトなのだろう。たぶん
こうして画像のアップは済んだが、まだその画像をウィキペディアからリンクする作業が残っていた。画像の表示についての説明を斜め読みし、もともと表示されていた「画像募集中」の画像を出す記述を上書きするようにして、何度目かのプレビューでやっと他の大学のページと同様に表示されるようになった(サムネイルがいらなかったことに気づいたのはこの時点のことである)。とはいえ、縮小表示されたらされたで、気になるのはやっぱり画像の質の悪さ……。地元の大学の印象のためにも、もっと綺麗な画像が欲しい……と思ってしまったのだった。
あと、できれば建物の外壁を塗りなおす費用も国からもらえないかと思ったけど……無理かなぁ、やっぱり。
(05:54 2006-09-18)
だから今日の夕飯は、寿司やケーキを取ってかなり豪勢だった。この年になってケーキもないかもしれないが、家族の誰かが欠けた後になって、あの年は皆でケーキを食べなかった、なんて後悔したくはない……と自分は思っている。祖母が、家族そろって誕生日を迎えられるという事は喜ばなきゃいけない、と言ったのも分かるような気がする。
そんな夕食の後で、意外な話を聞いた。祖母や母親が電話で大声を出しているので、気になって階下へ降りていってみると、まだ電話は続いており、何も訊けないような気配だった。終わった後、どうしても気になって訊くと……この間、従兄と結婚した人の弟が死んだというのだ。
その従兄の結婚式で一度会った相手だから、名前も何も不確かだけど、一応は覚えがある。自分と年はほぼ同じらしいが、目立つ外見で社交慣れした感じがあり、後で知ったが実際、夜の仕事(……)なのだそうだ。式の合間に控え室で寝ていたのも、直前まで仕事で忙しかったかららしい。しかし絶対に死ぬような人とは思えなかったのだが……母親が改めて従兄に悔やみの電話をかけて聞いたところ、先月の初めに佐渡の海で溺れたのだという。最初の電話の相手だった叔父は、新聞にもそのことが載ったと言ったそうだ。
従兄の奥さんも含めて姉妹はいるが、兄弟のうちではたった一人の男だから、親の悲しみも深かろうと祖母が言った。それは本当のことらしかった。自分も何があったか分かるにつれて力が抜けるような感覚がした。どうしても信じられなかった。
ここしばらくはその事もあってか、この家を訪れなかった従兄夫婦だが、明日は来ると言っていたそうだ。祖母や母は香典を用意しなければと言っていた。
------------------------------------------------------------
ウィキペディアに……というか正確にはウィキメディア・コモンズに生まれて初めて画像を投稿した。
たまたま自分の地元にある大学(父親の元の勤め先でもあった)の項目で、わりと前から画像投稿依頼が出ていたから、誰もやらないならいずれ……?と思っていたのだった。地元だから家族に頼んで撮影してもらえばいつでも投稿できそうなものだが、ウィキペディアは著作権に関してかなり細かいようだから、後腐れがないよう、帰省した時に自分で撮って投稿しようと思ったのだ。……まあ、その場合、カメラの性能や自分の技術その他の理由で写真のクオリティは多少犠牲になるが、それは仕方なかろう。ウィキペディアなんだから、いずれもっといい写真を投稿してくれる人が現れないとも限らないし。
実際に写真を撮ったのは帰省直後の先月14日だった。祖父母の買い物についていったついでに大学に寄ってもらい、適当に20枚ほど撮ってきた。ただし……事務に断るほどでもないか?と思った、というか、許可をもらおうとしてかえって面倒になっては嫌だったので、大学側には一切無断で……。この時点で、著作権的にまずい画像は投稿しないでくれというウィキペディア(ウィキメディア・コモンズ)の方針に抵触しているような気もするけど……。
撮ってしまえば、あとは補正して投稿するだけ……なのだが、その暇はなかなか取れなかった。というよりも、補正作業には時間がかかるし、投稿手順は分かりにくいしで、つい取りかかる決心がつかなかったのだが。そうこうしているうちに、誰かがもう投稿したのでは……と不安になってきたが、確かめるのもまた不安でなかなかページを見てみもしない。だが、ついに気になってそのページを見てみると、画像募集中の画像はそのままだった。
それでもすぐに取りかからなかったのは、やるなら今日、と思っていたからでもあったが。夕飯の後に補正から始めてみると、これがやっぱり大変だった。
そもそも、元の写真の出来がよくない所に加えて、ウィキペディアの投稿の仕方がよく分からない。元の大きさの写真以外にサムネイルも必要かと思って、フィルタの掛け方まで工夫して用意したが、アップした後になって不要と分かった。画像のアップ先も、初めは普通のウィキペディアだと思い、既にそのためにアカウントも取ってあったのだが、あらためて説明を読むと、ウィキメディア・コモンズの方が全世界から利用できてよいらしい。でも、この画像にそれほどの価値があるのか?……と迷った末、結局コモンズのアカウントを取ったが、今度は画像に添付すべき情報の書き方が分からない。用意されたテンプレートに沿って何とか書いたが、これが正しいという書き方の例がどこにもないので、やっぱり分からないことだらけ……。
ともかく、コモンズのアップロード画面でよくよく確かめた末にボタンを押した2枚の画像(元の大きさの写真とサムネイル)は、一応、警告に引っかかることもなく順調にアップされた、らしい。まあ……そのうちどこからか注意が来て削除されたり、いつの間にかもっと質のよい画像に変わっていたりしない限り、これでよかったというコトなのだろう。たぶん
こうして画像のアップは済んだが、まだその画像をウィキペディアからリンクする作業が残っていた。画像の表示についての説明を斜め読みし、もともと表示されていた「画像募集中」の画像を出す記述を上書きするようにして、何度目かのプレビューでやっと他の大学のページと同様に表示されるようになった(サムネイルがいらなかったことに気づいたのはこの時点のことである)。とはいえ、縮小表示されたらされたで、気になるのはやっぱり画像の質の悪さ……。地元の大学の印象のためにも、もっと綺麗な画像が欲しい……と思ってしまったのだった。
あと、できれば建物の外壁を塗りなおす費用も国からもらえないかと思ったけど……無理かなぁ、やっぱり。
(05:54 2006-09-18)
コメント