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睡眠不足
2008年4月1日 わりとまとも?な日記 今日、実家から弟と一緒の電車でアパートに戻ってきた。
自分としてはもう二、三日、実家に留まっていたかったが、弟がサークルの用事でどうしても今日の夕方までに戻らなければならないという。じいちゃんが免許を流したから、駅までの足も前のようにはいかない、できれば二人まとめて帰らせたほうがいい、というわけで、一緒に帰ることになった(なお、昨日の晩また弟に連絡が来て、集合時間が五時から三時に変更になったということだったが、すでに三時過ぎに着く切符を買った後だったのだから無理な話である)。
それで弟はおとといの晩から荷物を作っていたようだが、自分は昨日の夜遅くになってやっと手荷物をまとめ始めた。おかげで昨夜は風呂に入る暇も寝る暇もほとんどなかった。
来るとき持ってきた大荷物の中をのぞいたら、結局一度も出さなかった教科書やら辞書やらが見えて……これからの学期が非常に不安になったが仕方がない。実家にいると、他の家族が寝静まった深夜以外、まとまって自分のことをやれる時間がないと思う。だが、そうして夜更かししていると、今度は昼間、特に午前中に活動できなくていろいろ損をする。さらに今度の休みは、アニメ夜話や「とことん! 石ノ森章太郎」が重なって、後になるほど夜更かしと朝寝坊が進行していったが……まあ、それは実家にいようがいまいがいつもの事か。
今朝六時近くになってやっとある程度荷物をまとめ、寝についたが、二、三時間後には起こされた。十時二十一分の電車なのだからまあ当然だが。のろのろと荷物を追加していると、お寺さんが永代経にやって来て、あわてて着替えて後ろに座ったが、それも母親に何か食べろと言われて台所に行って中断。最終的に、じいちゃん一人をお寺さんの相手に残し、自分と弟、そして歯医者に行くばあちゃんと、みんなを車で送る母親の四人でわたわたと出かけることになった。
ばあちゃんは歯医者の近くで降り、母親は駅舎の中まで見送りに来た。が、何だか知らないが弟の愛想がやけに悪い。ちょっとバカ話をしかけると、もう自分と同行するのは我慢できそうにない、というようなことを言う。電車を待つ間も自分と母親からは離れたところに一人でいた。いよいよ改札をくぐるという時も、母親の方を振り返りもせずにさっさと行ってしまい、母親が不満を述べたほどだった。今から思えば、寂しかったのを隠したかったのか、それともやはり睡眠不足で機嫌が悪かったのかといろいろ想像はできるが、そういう状態で下手につつくと本気で荒れ狂いそうだと思われたので、不本意ながらあまり構わずにおいた。
幸いにもと言うか、それからの道中はとにかく眠さと大荷物を運ぶ疲れとで、自分はほとんどうたた寝するか、景色を見ながらぼーっと妄想を膨らませるかで時間を過ごした。弟は隣の席で本を読んだりうたた寝したりしていたが、やはりほとんど会話はしなかった。
強風とぱらつく雨のせいで、電車は乗り込んだ時点で10分ほど遅れていた。県境を越えても、雨がしばらく雪になり、やがてほとんど降らなくなったくらいで、強風は相変わらずだった。新幹線に間に合うか少し心配になったが、もともと乗り換えの待ち時間の長い電車を選んであったし、結果的には数分遅れたもののまだ充分余裕があった。
新幹線に乗り換えてからも、しばらく天気は晴れきらなかったが、高崎に入ったら晴れていた。次に乗り換えた新幹線はやはり強風のためところどころ徐行運転したが、大宮のあたりでは、ほとんど満開の桜がいくつも見えた。これでは東京あたりから花見客のニュースが入るのも当然だと思った。同時に、サイトの絵の更新を急がなければとも思った。宇都宮の桜は五分咲きくらいだった。
眠ったり、二階席から景色を眺めたり、始終ぼーっとしているうちに最後の駅に着いていた。弟はずっと隣の席にいたわけだが、改札を出るところで人ごみに紛れ、とうとう姿が見えなくなった。どうしたろうと思って駅前のバス停から電話をかけたが出ず、かと思ったら折り返し電話をかけてきて、別の路線のバスで先に帰ると言う。はあ……と聞いて目の前を通ったバスを見たら、中に確かにそれらしい姿が見えた。それでは何か言うこともないと、自分は自分でもうしばらく待って、いつも駅から使う路線のバスで帰った。
ただ、不審に思ったのは、あの弟が乗ったのは、ひょっとしたら奴の家の手前で止まるバスではないかということだ。自分が乗った路線なら、まず自分の家の近所、次に弟の家の近所を通って終点の交通公園まで行くが、今回弟が乗ったのは別の道を通って交通公園まで行く路線だから、終点止まりなら奴の家の最寄りのバス停までは回って来なかったかもしれない。循環であれば来たかもしれないが。……晩の電話でそのことを母親に言ったら、まあそうだったとしても勉強になっただろうと言っていた。実際のところどうだったかはまだ訊いてない。
アパートの近くの高校の桜はまだ咲く気ぶりも見えなかった。自室に入ったら、まずその散らかり具合に驚いた。……たぶんここにいた時は何とも思わなかったのだが、実家はいつもきちんと整頓されていたので、そちらの方が当たり前だと思うようになったのだろう。ともかく来る前に放り出した洗濯物を畳まなければ居る場所も寝る場所もない。どうせ今日はそれほど急ぐ用事もないし、と珍しく進んで片付けに取り掛かった。
その最中、ふと流しの縁を見たら、見慣れない熨斗のついた包みが置いてあるので驚いた。見ると、隣の部屋に引っ越してきた人からの挨拶の品だった。
何故ここに……と一瞬思ったが、そういえば先月下旬、30日朝の特撮番組の予約録画をしてくれるように弟(自動車学校に行くため長くこちらに留まっていた)に頼んでいたのだった。弟が実家に戻ってきてから、隣の部屋に新しい人が入ったようだと知らせてくれたから、きっと録画予約でうちに入った時にこれを取り込んだのだろうと思われた。
自分が引っ越してきた時は隣や上の階に挨拶などしなかったし、逆に誰かが挨拶に来たと思われた時も応対に出なかったことさえあったが、こうなるとこちらからも挨拶に出向かなくては失礼だろう。実家に電話して、何かお返しをするべきかと訊いてみたら、ただ挨拶してくればいいということだった。できれば今日中がいいだろう……と、思ったが、のろくさとその辺を片付けているうちに疲れが出てきた。
少しばかり休むつもりでこたつにもぐりこみ、うつらうつらして……本格的に目が覚めた時には周囲は真っ暗になっていた。電気をつけたら夜八時を回っていた。
(2008-04-02T16:16+09:00)
自分としてはもう二、三日、実家に留まっていたかったが、弟がサークルの用事でどうしても今日の夕方までに戻らなければならないという。じいちゃんが免許を流したから、駅までの足も前のようにはいかない、できれば二人まとめて帰らせたほうがいい、というわけで、一緒に帰ることになった(なお、昨日の晩また弟に連絡が来て、集合時間が五時から三時に変更になったということだったが、すでに三時過ぎに着く切符を買った後だったのだから無理な話である)。
それで弟はおとといの晩から荷物を作っていたようだが、自分は昨日の夜遅くになってやっと手荷物をまとめ始めた。おかげで昨夜は風呂に入る暇も寝る暇もほとんどなかった。
来るとき持ってきた大荷物の中をのぞいたら、結局一度も出さなかった教科書やら辞書やらが見えて……これからの学期が非常に不安になったが仕方がない。実家にいると、他の家族が寝静まった深夜以外、まとまって自分のことをやれる時間がないと思う。だが、そうして夜更かししていると、今度は昼間、特に午前中に活動できなくていろいろ損をする。さらに今度の休みは、アニメ夜話や「とことん! 石ノ森章太郎」が重なって、後になるほど夜更かしと朝寝坊が進行していったが……まあ、それは実家にいようがいまいがいつもの事か。
今朝六時近くになってやっとある程度荷物をまとめ、寝についたが、二、三時間後には起こされた。十時二十一分の電車なのだからまあ当然だが。のろのろと荷物を追加していると、お寺さんが永代経にやって来て、あわてて着替えて後ろに座ったが、それも母親に何か食べろと言われて台所に行って中断。最終的に、じいちゃん一人をお寺さんの相手に残し、自分と弟、そして歯医者に行くばあちゃんと、みんなを車で送る母親の四人でわたわたと出かけることになった。
ばあちゃんは歯医者の近くで降り、母親は駅舎の中まで見送りに来た。が、何だか知らないが弟の愛想がやけに悪い。ちょっとバカ話をしかけると、もう自分と同行するのは我慢できそうにない、というようなことを言う。電車を待つ間も自分と母親からは離れたところに一人でいた。いよいよ改札をくぐるという時も、母親の方を振り返りもせずにさっさと行ってしまい、母親が不満を述べたほどだった。今から思えば、寂しかったのを隠したかったのか、それともやはり睡眠不足で機嫌が悪かったのかといろいろ想像はできるが、そういう状態で下手につつくと本気で荒れ狂いそうだと思われたので、不本意ながらあまり構わずにおいた。
幸いにもと言うか、それからの道中はとにかく眠さと大荷物を運ぶ疲れとで、自分はほとんどうたた寝するか、景色を見ながらぼーっと妄想を膨らませるかで時間を過ごした。弟は隣の席で本を読んだりうたた寝したりしていたが、やはりほとんど会話はしなかった。
強風とぱらつく雨のせいで、電車は乗り込んだ時点で10分ほど遅れていた。県境を越えても、雨がしばらく雪になり、やがてほとんど降らなくなったくらいで、強風は相変わらずだった。新幹線に間に合うか少し心配になったが、もともと乗り換えの待ち時間の長い電車を選んであったし、結果的には数分遅れたもののまだ充分余裕があった。
新幹線に乗り換えてからも、しばらく天気は晴れきらなかったが、高崎に入ったら晴れていた。次に乗り換えた新幹線はやはり強風のためところどころ徐行運転したが、大宮のあたりでは、ほとんど満開の桜がいくつも見えた。これでは東京あたりから花見客のニュースが入るのも当然だと思った。同時に、サイトの絵の更新を急がなければとも思った。宇都宮の桜は五分咲きくらいだった。
眠ったり、二階席から景色を眺めたり、始終ぼーっとしているうちに最後の駅に着いていた。弟はずっと隣の席にいたわけだが、改札を出るところで人ごみに紛れ、とうとう姿が見えなくなった。どうしたろうと思って駅前のバス停から電話をかけたが出ず、かと思ったら折り返し電話をかけてきて、別の路線のバスで先に帰ると言う。はあ……と聞いて目の前を通ったバスを見たら、中に確かにそれらしい姿が見えた。それでは何か言うこともないと、自分は自分でもうしばらく待って、いつも駅から使う路線のバスで帰った。
ただ、不審に思ったのは、あの弟が乗ったのは、ひょっとしたら奴の家の手前で止まるバスではないかということだ。自分が乗った路線なら、まず自分の家の近所、次に弟の家の近所を通って終点の交通公園まで行くが、今回弟が乗ったのは別の道を通って交通公園まで行く路線だから、終点止まりなら奴の家の最寄りのバス停までは回って来なかったかもしれない。循環であれば来たかもしれないが。……晩の電話でそのことを母親に言ったら、まあそうだったとしても勉強になっただろうと言っていた。実際のところどうだったかはまだ訊いてない。
アパートの近くの高校の桜はまだ咲く気ぶりも見えなかった。自室に入ったら、まずその散らかり具合に驚いた。……たぶんここにいた時は何とも思わなかったのだが、実家はいつもきちんと整頓されていたので、そちらの方が当たり前だと思うようになったのだろう。ともかく来る前に放り出した洗濯物を畳まなければ居る場所も寝る場所もない。どうせ今日はそれほど急ぐ用事もないし、と珍しく進んで片付けに取り掛かった。
その最中、ふと流しの縁を見たら、見慣れない熨斗のついた包みが置いてあるので驚いた。見ると、隣の部屋に引っ越してきた人からの挨拶の品だった。
何故ここに……と一瞬思ったが、そういえば先月下旬、30日朝の特撮番組の予約録画をしてくれるように弟(自動車学校に行くため長くこちらに留まっていた)に頼んでいたのだった。弟が実家に戻ってきてから、隣の部屋に新しい人が入ったようだと知らせてくれたから、きっと録画予約でうちに入った時にこれを取り込んだのだろうと思われた。
自分が引っ越してきた時は隣や上の階に挨拶などしなかったし、逆に誰かが挨拶に来たと思われた時も応対に出なかったことさえあったが、こうなるとこちらからも挨拶に出向かなくては失礼だろう。実家に電話して、何かお返しをするべきかと訊いてみたら、ただ挨拶してくればいいということだった。できれば今日中がいいだろう……と、思ったが、のろくさとその辺を片付けているうちに疲れが出てきた。
少しばかり休むつもりでこたつにもぐりこみ、うつらうつらして……本格的に目が覚めた時には周囲は真っ暗になっていた。電気をつけたら夜八時を回っていた。
(2008-04-02T16:16+09:00)
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